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2007.04.18

ウサギ大脱走

読売新聞の4月18日付朝刊より

ハンガリーとオーストリアを結ぶ高速道路上で、5000匹のウサギを食肉加工場に運んでいたトラックが、居眠り運転のトラックと衝突して横転し、4500匹がオリから逃げ出した。道路当局で捕獲作戦に乗り出したが、ウサギは周囲を逃げ回り、交通が数時間にわたって封鎖される大捕物に。結局、100匹が捕まらず、「自由の身」になったという。 (ブダペスト=AP)

という記事が掲載されていた。いろいろな事を考えてしまう。

まず、ウサギを食べないで!と思うけれどそれは文化の違いなのでここでとやかく言っても始まらない。それに日本でもウサギを食べていた時があるので何とも言えない。一羽という数え方はウサギを食べるための数え方なのでうちでは、一匹、二匹と数えるようにしている。という話は置いておいて…

自由の身になったウサギがいるから、めでたいということだけではない。50分の1の確立で自由になったウサギだが、自然で育った野ウサギではないので他の動物から身を守る術を知らない。弱肉強食は自然界の掟なのでぴょん吉一匹がどうこう言える立場ではないけれど、果たして自由の身になったウサギは幸せな一生を迎えることができるのだろうか。

自由の身になったとしても生きていく術を知らないウサギたちは、悲しい最期を迎えるかもしれない。でも一生のうちで少しでも自由になれたことは幸せかもしれないし、不幸かもしれない。

反対に逃げられるチャンスがあったのに逃げなかったウサギもいるし、逃げたけれど捕まってしまったウサギもいる。それらのウサギは不自由な身であるかもしれないけれど不幸だったとは言い切れない。逃げなかったウサギは外の世界を知ることなく一生を終えるのだけれど、幸せだったかもしれない。食住の環境には困らず一生を過ごすことができ、他の天敵に怯える日々を過ごした訳でもない。

何が言いたいのかと言うと、自分の人生は自分で決められる。先にどんな出来事が待っているかはわからないけれど、自分で進んで行かなくてはならない。そして、全て幸せだと思うのも不幸だと思うのも自分次第ということ。もっと日々のことを幸せだと思える自分自身でありたいと思った。

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