11月10日 「通り」というメリット
昨晩よっぱらいながらおもいついたことを、さらに忘れないように記事に。
「先斗町通りは『通り』として、そのイメージがあるからぇえんちゃうの??」
ということ。
京都にはいろいろな通りがあり、有名なものから、京都人でも誰も知らんような通りまである。
そんななかで、先斗町通りは『通り』として場所が理解されるという、めちゃくちゃ得な性格をもっているってこと。それが切り口とちゃうのだろうかとおもっていたりします。
昨晩よっぱらいながらおもいついたことを、さらに忘れないように記事に。
「先斗町通りは『通り』として、そのイメージがあるからぇえんちゃうの??」
ということ。
京都にはいろいろな通りがあり、有名なものから、京都人でも誰も知らんような通りまである。
そんななかで、先斗町通りは『通り』として場所が理解されるという、めちゃくちゃ得な性格をもっているってこと。それが切り口とちゃうのだろうかとおもっていたりします。
「なんなんだこの通りは!」とおもうことがやはりある。というより、本音はいつもそうだ。
なにかわるいことをしたか?と考え直すが、ここでは、なにをしてもよろしく言われることがない。
相方が。
「どこでも、なかよしこよしではやっていけへんのやからぁ・・」となぐさめてくれる。
ありがたい。
正直にいえば、ぼくのようなものに雨をしのげる屋根をあたえてもらっただけでありがたいわけで、、、、、、
しかし、なんだこのまちは!
実は数日前の雨で、事件が発生しておりまして。。。。大した量ではなくにじんだ程度だったのであまり大きく考えず、それでも大家さんには大屋根のこともあり、ちゃんとご報告はさせてもらい・・・・・・
そんなこんなで、
本日、見積もりのための調査がありました。
家の躯体に関しては借り手ではなく持ち主さんの大工さんが担当するわけなのですが、大家さんも本家の水場大改修中ということで、すぅ吉に白羽の矢が。
とにかく、写真は珍しい光景。
京都の町家の屋根からの眺めって感じでございます。
お向かいのお茶屋さんの大屋根がきれいにふたつ並んであります。ほんとうは通り全部こういうきれいな屋根がつらなっていたわけで、二つが向かい合っているのはここだけになってしまいました。やはり住人がおられるところの屋根はどこもきれいにされていて、結局、町家は住んでいる人がいてナンボなんだとよくわかります。
その後、家主さん交えての会議。
150年近い家を維持し続けるというのは、たいへんなことなのです。
なんだか、ちょっとしょんぼりします。
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せっかくなので以下、特典画像を。
店番をしながら連休のおわった平日の通りを見ている。
すこし肌寒い今日であるが、食べ物屋さんのお休みが多く、ちいさな喚起ダクトの騒音がなく、前で響く舞妓様の「おぉきにぃ」が乾いた空気にきれいに聞こえる。
この通りには、この通りにちょうどよい音や空気のバランスがあって、それはずっとこの通りをみていないとわからないほどに、一日のなかでも少ないものとなってしまった。
先斗町というところは、大都会(小都会か)京都のどまんなかにあるけれど、いなかの村落に近い性格があって、ここに住むとここから出る必要がない。それは、まずもって現代の働いたり住んだりする場所に対する感覚と大きくことなるものだと思う。
実際、このまちにくらせば、ここにいるだけで充足する・充足できるようになっている。それは、むかしむかしから、ここに人が暮らしてきたからで、現代となって(便利な世の中となって)、少々昔からのものが減ってきたとはいえ、この町のなかに必要なものが内在するから、それでぇえように仕上がっている。単純に食べ物屋さんが、不要なほどに侵入してきはったに過ぎない。それを除けば、この通り・この街はむかしからかわらない営みを続けている。
京都のらしさは、住んで商いする格好の維持継続が根幹にあるってな、えらそうなことを言った日が終わり、10月27日へ。
たいそうえらそうなことを言葉枕に言ったものだけれど、大丈夫かな・・・・とかなり心配になりつつも、夜に今日までの10月を振り返っている。
どうだろ。
先斗町にあたらしく組織ができるとすれば、それはどういう名前が冠されるべきなのだろう。
単純に、そして、おおきな願いをこめて、京の通り保全委員会とかがよいんじゃないかとおもったりするが、そんなことは、おぇらいさんのかんがえることで、わたしには関係ない。
ただ、まず、京都の通りとしての先斗町通りは、京都らしくある様子が前提となるのだから、そのやり方というか、生き方を復習するように、なぞってみてから、先の様子を決めねばならない。
もんだいとなるのは、目的である。
せっかくなんだから、おおきぃこと言ってもぇえんちゃうかな。
まぁ。わたしの言える世界ではないんですけどね。
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今日もなんやかんや、片付けの片付けをしていたりしもって店番をしていると23時前になっている。
ちょっと居間から障子を見る。
通りから金曜日らしいサラリーマンさんの声にまじって水明会期間であることをわからせてくれる声も聞こえてきたり、忙しそうな若芸妓さんから業務連絡的に「おねぇちゃん、○△※!!■○でっさかぃによろしゅうおたのもうします」とかを相方が聞いていたりと、秋の先斗町らしくてよい。
まだ、前頭部には、今日「来い」といわれた会発足に向けての集まりのネタである『先斗町らしさ』がうずまいているが、それは、ここに住んでるものでないとなかなかちゃんとわからんものなんだとおもう。外面的なある部分の先斗町だけを整然としたところで、それはやっぱり『先斗町らしさ』にはならないとおもう。この通りには、この通りに住んで、ここでしかできない商いをする人とその家(屋形)があるからこそ、「らしさ」をかもし出すわけで、昼過ぎにスーパーの袋を抱えてやってきて、23時には生ごみほぉりだしてどこかへかえっていかれる人に、「先斗町らしさ」を求めるのはむずかしい話やなぁ~と、いまおもいながら、このまとめを書いている。
が、考えすぎると熱がでるので、やんぺ。
みなさま、おつかれさまでしたぁ~。
京都の通りは通り毎に性格が異なっていて、それは並んで並行に走る通りでもぜんぜん違う性格をもって存在し続けている。
ただ、通りの性格はずっと固定的であるのかというとそうではなく、ながい時間・スパンを経て逆転したり、入れ替わったり、違う性格のものになったりする。
今日は夜の遅くにうさぎに近くの大きいおかぁはんが話をしてくださっていて、それを横から聞いていたのだが、彼女がおもしろいことを言われた。
「おじぃちゃん、おばぁちゃんいうか、年配の人といると、ききじょうずになりまっしゃろ。それがだいじなんどすなぁ。ゆるゆるするゆぅかぁ・・・・わたしらでも、としとるとゆっくりしかしゃべれまへんどっしゃろ。でもまぁ・・今の人は早いことばできつぅ言い張るから、みんなきゅぅ~っとしてしもてあかしません」
これはおもしろい。
最近、(南や北から先斗町を歩かれて)この屋形周辺になって、
「ふつーのいえなんか、たべもん屋なんかよーわからへん」
と、怒りにも似た言い方で言われる通行される方が増えた。
正確には、食べ物屋でも、ふつーの家でもないものが南北500mほどの先斗町通りに並んでいたので、この通りには、そのどちらもないというのが妥当な答えになるだろう。
要するに、この通りが、“花街先斗町”であることすら知ってもらわれないままお通りいただいている率が高いというこだ。
ただ、「ふつーの家」or「食べ物屋」のどっちやとなると、「ふつーの家」が並んでいたのであったが、最近では「食べ物屋」のほうが多いように見える。もちろん見えるだけで、基本は住宅街である。
先ほど、ちょいと用事があったので屋形の本家さんのところへお邪魔させてもらっていたのだが、面白い話を聞かせてもらう。
以下写真に書き込んだものの真ん中にあるのだが、ちいさくてみにくいのでぜひ、写真をクリック!
真ん中にあるのが「八之舟入」。ちょうどこの家の木屋町側の高瀬川向かいが8番目の舟入りだったようです。ほんでその舟入りの南辺が瓢箪路地の延長であるたん熊北店さんの前の道、それをいけば河原町。すぐ北に坂本竜馬が殺された近江屋さん跡。私は先斗町通りは1本で成り立っている街ではなかったという意見なのですが、ひとつそれを更に確証付けるお話でした。我が家の材木もこの八之舟入りまで水運で運ばれ、この場所に家として建てられたのだと思います。
(嬉しそうに)「○○ちゃぁん、■■■買ってきたでぇ・・・」
と、玄関を開けながら話す声があって、先斗町に住まわせてもらい、それが日常の生活の常音として聞こえる生活で生きることが出来ているというのは、たいそうしあわせなことだと思っている。
だんだん夜になります。先斗町にはこういうきれいな場所もあるのだと、知って欲しい。ここは食べ物屋街ではないのです。古いけれど素敵できれいな家に、こちらは古くはないけれど素敵できれいなおねぇさんが住んでいる場所・・・・・ってところかな。別にこの格子を開けて中に入るだけが花街の楽しみ方ではないのだと思います。そういう場所の素敵さは前を通るだけで感じることが出来て、それだけでよいのだと思います。先斗町は食べ物屋街ではない。
前を歩くだけで「じゃあ、なんで花街は魅力的なのか?」って問われそうですが、、、、、、
色町としての性格からではなく、日本の生活の一つのよい(あるいは、最高の)様子が継続しているのを感じることで、日本で暮らすことのよさをご自宅まで気持ちの中で持って帰ってもらって、すこし、花をいれようかな・・とか、時間を現代ではない時間で食事してみようかな・・・としてもらえたりすると、殺風景な現代にも、また日本の時間が戻ってくるはず。結局、日本人がお漬物を好きなように、日本の様子というものの存在を認知することが、日本らしく生きていく上では必要なのだと思います。そういう一つの対象として花街は人をひきつけるのではないでしょうか。
自転車を押してうちの店にお越しくださるお客様がある。
自転車を格子のまえにおかれ、格子に横付けしてご入店という按配だ。もちろん、「駐輪場に置いてからきてもらえますか?」と言う。お客様は、「のってへんやんけ!おまえんとこでいっつもかったってるんやぞ」とかなりのケンマクである。が、うちは押してきていただいても、自転車でのご来店はお断りしている。
理由はいくつかある。
そろそろ今日も終了だというので、今日の格子の様子を撮ろうと撮った。
うちの格子とお向かいのお茶屋さんの格子の間にある、お茶屋さんのお提灯がきれいに撮れた。
ふとおもったのだけれど、。。。。
祇園祭の時には、お茶屋さんや老舗のお店さんは「奉納」と書いてある祇園祭のお提灯を同じ場所にかけられるのだけれど、どーされるのかな・・・
やっぱり、一つしか、かけはらないでしょう。
で、ですな。
通りにはやすもんのどんな会かわからん名前がかいてあったり、「おばんざい」とか書いてある提灯がやったらめったかけられているけれど、基本として、屋形ひとつにつき(よっぽどの大店の場合を除く)、提灯は一つというのが、京都の上品さのイメージにつながっているのだということに気がついたわけです。
バランスってものだけのはなしなのですが、なんでそこらへんの食べ物屋さんがぶっさいくでやすけらしい、風情の悪い、汚らしいもののように見える(実際にはそうでなかったとしても、そのように見えるのかというのは)のかというのは、京都のイメージとしての提灯の数と違う数をかけてはるからなのだと分析できます。
と、そんなことを考えているうちに、閉店時間直前。
経理に掃除にと済ませて、お料理当番です。
今日もお読みくださり、ありがとうございました。さて、びーる。
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門の靴脱ぎ石にお茶がかけられ、格子が光で反射してうつっている。
これが花街先斗町のお昼間の光景というものだ。
こういうものを見に通りを歩いてほしいとおもう。生活と美しさを併存させて稼動し続けるまち。それが花街だ。
・・・・・・・・・・・↑
「ひっさしぶりに、ぇえことかいた!」と自画自賛中。
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頼みもしてないのに、「6000記事目」となりました。時間が過ぎていくというのは不思議なものです。毎日、店番の暇つぶしのように書いておりますが、こんだけ記事を書いて、なんのたいした成果も残せていないことを誇りに思うと同時に、自分でもあきれてしまいます。書き続けられるということは、とても幸せなことなので、これからも、毎日のことを書くと思います。今後ともよろしくお願いします。
毎日、この通りを好きな人が、「先斗町へきたぞぉ!!!」ってうきうきするような気分で、まず、自分がこの通りを歩いていないといけない。
好きというのは、人によってかわるもんだけれど、ぼくも、ここがすきなのだから、だれにも負けないように、先斗町がすきだってことを、大事にしないと。
こんなおしゃれな通りは、ほかにはパリにしかないもの)。
パリには負けないように、好き好きアピールをしていかないとな。
先斗町が好き。このブログは、それを言うためにあるんだし。
生活様式というものがあり、それは、核家族化の中ではそれぞれの家族・家庭のもののようにあつかわれる現代・今ですが、どーやら、それは現代だけの様子なのかもしれません。
言い換えれば、日本の生活様式が一様になったということかもしれません。
先斗町には先斗町の生活様式のようなものがあり、どうやら、それが古臭いもののようですが、実は、この界隈をらしくしている根っこなのかもしれない。
まず第一に、住んでいる。
第二に、商いがある。
第三に、京都の真ん中である。
第四に花街である。
第五に一本の通りの小さな集合体である。
この5つが生活様式を固定する要素のようです。
そんな単純なことからみれば、まだまだここはらしく継続できそうな・・・
またしても通りから聞こえてきたことばで記事です。
店番をしていると、中年後半の男性が数名であるかれ、ある男性がひとこと。
「よしゃ、ほな、すきやきくぉか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と。
なにか特別なわけではないのですが、最近、こういう言い方をしはるひとがいません。
さて、6月25日へ
短いようで長かった界隈のイヴェントが24日で千秋楽を迎えられた。
で、経営者として、はたして、ぅちはその結果どーだんたんだろうかとこの4週間弱を振り返る目はもっているので、振り返ってみる。
界隈の5月の行事も終盤戦になると、お客様からの今年のそのイヴェントに対する評価を聞かされることが多い最近。一応、「そーでしたか、すいません」と答えるのだが、内心、「・・・・(やっぱり)・・・・」と思ってしまうような評価が聞こえてくる。
ダンシングに関しては、「きれいやったぁ~」とか「去年のほうがすき」とか、「だれだれさんはさすがや」とか、その手のふつうのご意見は、お話ししていても、話しやすいのだが、そのあとに、「なんであんな嫌そうな顔でやってはるん?」、「和風ギターはあんなこわい顔しな弾けへんの?」「おこってはるんかしら?」、きつく言われる方などは、「あんだけ嫌そうな顔してやるぐらいなら、やめたらぇえのに」と言われることが、今年は激烈に多かった。
どーこたえぇていいのやら、わたしは困る。
だが、、、、、
正直、わたしにもその疑問はある。お金をもらった上でのサービス業としての商いであるはずなのに、なぜよい表情のひとつもできないのであろうか・・・・これがいまでは特殊なこのまちに対する、庶民の率直な疑問だろう。
なんでかな。なにごともやっぱり、内容よりも人間としての表情がすべてだとおもう。それはうちのような雑貨屋でも、大企業の車屋さんでも、うどん屋さんでも、商いは、販売する物の内容や価値よりも、商いそのものの表情があって信用され、愛されるのだとおもう。一般的にそう考えると、確かに不可解な気持ちで帰路につかれる方のその手の意見や評価は妥当な気がするのだが。
夜にブログを書いていると、格子の向こうから、声が聞こえた。どうやら界隈の様子に関してのお話であるようだったので、キーを打つのを控えて、我が家の前を通られるのを聞いた。
話し方や靴音からして、紳士な男性3名ぐらいが帰られるところのようだ。そのなかの年配の男性がこういわれた。
「祇園と先斗町で、大きく違うのは、みんなでまもろうとしているかどうかだ。」
この文字をそのままをたんたんと、その男性は言い、ほかの男性も文語のような話し方で話を続けられながら歩いていかれた。確実にあたまのいいおっさん達のお茶屋さん帰りだ。
単純なことばであるが、彼が言われたことがすべてのような気がする。
風情のようなものは、だれかひとりががんばったってどーにもならない。
ありがたいひとことをきかせてもらった。
さて、5月2日へ
いろいろGWの話が定まってきた様子。今日は、はやくに寝よう。
「様子」というのは、なんなんかな。
ぼくが音痴だけれど、うたいたいからと居たところで、歌ってくれたひとを思い出しながら今日は早くねることにします。
大好きな歌です。
終章・エピローグ
人が居るから人が来る。そんな単純なことがあったのかもしれません。先斗町なんて、だれもいなくなれば、だれも寄り付かない。この通りは、どこの街よりも、人が宝物の街なのでしょう。
文字にならないエピローグにならんように、がんばりましょ。お客さんも、商うものも、これからお越しいただくお客様も。いつも京都のどまんなかは先斗町だと、ぼくは思う。
そんな夜でした。
「おまぇ~!!!ほんま板についてきたな。しかしなにやとんねん!もぉ板場むりやろ!ぇえ!」と10年はよぉーしてもらっている京都大手スーパーの社長さんにつっこまれる。
彼は今からすし屋だ。
「おまぇ、おれとかわれ!おまえがじゃがいもうれ!」とすし屋にむかわれたのであるが、かれも大体週に2~3回この通りで会う。
先斗町通りは、そういうおしゃれなおっさんが夕方にあるかれるから好きだ。昔は朝にしかあわん相手だったが、ダンボールはこんでいる朝のおっさんは、夕方には、見た目上品で口だけ過激に悪いちょいわるおやじに変身してるのが、常だ。常用というのも変な言い方だけれども、きまったルートのようなものが、そういうおっさん(男性にかぎらないが)にはあって、売り買いの話ではない、やりとりや掛け合いがある。
お互いの安全確認とでもいうか、ここ先斗町はそういう場所として機能するのが、あまりに適切な場所だ。ぼくはそうおもう。
なので、ここからははなれられない。それこそ、売る買うのはなしではないのである。
そうそう、そういう私の好きなちょいわるおやじは、かならず同行される女性の後ろを歩く。1.8mほど後ろを。別にこそこそされているとか、そんなんではなく、今日の彼の1.8mほど前を歩かれていたのは奥様だし、きまりのように、並んで歩かず女性の後ろを歩かれることが多い。理由は知らんが、たぶんこの通りの性質とだいぶ関係する。
追記
上に口が悪いとか書いたが、彼は京都人である。根っからの。お商売ではかれも見た目京都弁をうまいことうまいことおはなしになる。が、上に太字で書いた彼のことばも、京都人の京都弁なのである。それって、大事なことだとおもったので、追記。京都は京都をどうするかなのである。
夜に雨があがったので、昨晩ご依頼を受けていた元お茶屋さんの玄関灯の蛍光灯チェンジ作業。実は昼間に蛍光灯の付け替えをしていたのに、復活せず、夜に点灯用の玉かえをやったら成功。一安心。
折角なので、玄関灯の周辺部分の大掃除もさせてもらった。やっぱり先斗町にはこれだけの看板が一番似合う。
ただ、たいがいの場合、先斗町のおかぁはんは背丈的にこの高さの電球をかえることは困難なのである。花街には花街の灯りの程というのがあって、花街には花街にしかない高さ基準というのがある。
きれいにさせてもらえてまた勉強させてもらった。何十年前の玄関灯シェードかは、おかぁはんも不明らしいのだが、繊細ながらすごく高級かつ上品な電気シェードでございました。今時、こんな細工できる電気屋さんおられるんだろうか、、、などとも。
ふとおもった。
「なにをまもりたいのだろう?」という問いをもっておくことは大事かもしれない。
私は大阪で生まれ、大阪の気風と理不尽な親のやり方のなかで凝り固まった人間として生きてきた気がするが、かんがえようとすることだけは、まだやめないでいるからたすかる。
毎夜毎夜、出した生ごみを物色し、すること動くことすべてに裏で陰口を言われ、存在してここに居ること自体をねっこから否定したような表情をとるような実際があり、そうとうに憤慨したりもするんだけれど、
はたして、一体、何をまもりたいのであろうか?そこまで私を悪者にしなければならないだけの何をまもるために、ここの50年近くは経験豊かな乙女たちは、そうするのだろうか?
いままでは「京都の花街という日本の風情を残すには・・・・・」と考えてきたが、そうじゃなくって、めちゃくちゃな表情をとられる側となって、では、「あなたはなにをしたいのですか?」という視点をもって京都、そぉ、「いけずな京都」を見てみるということもあってよいのかもしれない。
いままではさまざまな理解の気持ちや、こちらの未熟から、まなばせてもらおうと懸命であったが、
で、
結局、何をまもりたいんだ?ここのひとは?
この屋形はだいすきだが、なんで50歳近くは上のひとにいじめられなければならないんだろう。なにか存在そのものがいけなかったのだろうか?
なにか迷惑をかけたか?どぉきにさわらなかった?なんでにらむ?なんで挨拶もしてもらえない?なんで、すべてをイヤミにとって、まわりへわるくいう?
で、ぼくのなにをしっているのだ?
そうやっていやがらせをする人たちは。
ほんでもって、なにをまもりたいんだ?
京都の花街ってふしぎなところだぁ。
そうとしか言えない。
きにせずやろう。
悪いが、先10年と先50年じゃ、同じ方法では、窒息死する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月29日 今日もそろそろ閉店。最近、営業の主だった時間に記事を書こうと思えない。理由は“げんなり”してしまっているから。書き出すと愚痴にばかりなりそうであるのだ。
今日もそういう一日だった。
桜シーズンとなり、寒くはあるがお客様や通りを通られる方の数は明らかに増えてきた。ただ、“やるせなぁ~ぃ気分”になってしまう通られる方の増え方。お客様や通られる方の種類に希望をもつというのはえらそうな話だし、そんなことはおもっちゃいけないのだけれど、「それはないやろ!」と感じてしまう方が増えた。一日格子をはさんで通りから聞こえてくる声や歩き方を聞いていればわかる。
やっとこさ人気がなくなった先斗町に出ると安心するような・・
ここにある店の表情が変われば、通られる方の表情も変わってしまうといったところかな。これからどうなっていくのだろう。
風情とか、情緒とか、京都らしさとか、日本的な落ち着きとか、素敵さとか、花街の様子とか、そんなよーわからんここらしい良さってものは、あけることのできないお茶屋さんの格子の奥にしか残らないのだろうか。そして、そういうことで先斗町は魅力を維持できるのだろうか。
なんだか残念。えらそうな言い方だけれど、ここを歩かれる方には、目に見えるここ以上には素敵であってほしいと願う。
今日は、「先斗町は変わった」と口にされる方が通りを歩かれる日である。その日はなぜか集中する。
ちゃんとしたお客様があり、その方もそのようにいわれていたので、奥様が物色中にすこし話をさせてもらったのだが、私の見解は、、、
普段は気づけないことだとおもうので時差ぼけの中、写真もまだ掲載できないのではあるが、記事に。
元来、鼻がよいほうなのだけれど、日本のこのあたりは、やはり出汁の香りがするということに今気が付いている。帰ってきて早々にあぶらっくさいのはかなんのだが、やはり、こういう出汁の香りがするというのはうれしい。先斗町の自宅界隈のことはたいてい知っているはずなんだけれど、こういう香りのするところであると気が付いたのは今日がはじめてではないだろうか。
とっても素敵なことだとおもう。
少し居ない間にいろいろ変化はあったようだが、ここらしい様子はずっとあってほしいものだ。
大黒屋さんの天ざるでも食べたくなってくる。
「よころぶ」というのことが一番むずかしい。
あることからそんなことをちゃんと考え出したのであるが、これはむずかしい。花街であるから気づかせてきれたことである。世の中は、人との(他人との)やりあいの結果、できている。商いの人付き合いも商いの関係ない人付き合いも、すべてに於いてである。
そのなかで“よろこぶ”ということが最も大事な人付き合いの要素である。
ってなえらそうなことをかけるまで、ここで生きさせてもらったのだと感謝するしかないが、少し前にあったやり取りの中でも、ここにはおどろかされる。
・・・・・・・・・↑
写真は記事とは関係ありません。花街の素敵なよころびの光景だったので掲載させてもらいました。
実は、昨晩帰宅したうさぎのお出かけ感想のひとつとして、彼女がぽろっと口にしたことが気になっている。
昨日は、大家さんのねぇさんにお誘いをいただいて、難波あたりまで女性二名の小遠足をたのしんできた彼女。わたしのつれてやったことのない有名どころを案内してもらってきたのだ。その中でどうやら印象深かったのが法善寺横丁。実はわたしもいったことがない。先斗町のような狭い路地にお店がならぶところとして知り、2度連続した火事が数年前にあったのを知るぐらいで、法善寺横丁と聞くと、「火事に注意!」としかあたまにでてこないほどである。
12月30日 相方が買い物に出かけた間、帳場に一人座っている。
よく聞いていると、この人通りの中、ふつーではない洋靴のヒール音を発見する。言葉では書けない。
たまに、、、なのであるが、それは現代の女性のヒール音ではなく、きのせいかな・・・程度の違いしかないのだけれど、ちがうのである。
若干、足よりも靴が大きい。そしてヒールは高くない。歩き方が内股である。通りの幅員中2/3あたりをあるく。足を上げるたびに靴から足が軽くでるぐらいに少し大きめの靴。皮は固め。ヒールも手入れされている。
が、その靴は、去年も今頃にだけ履かれた可能性がある。
「これが先斗町なんだよなぁ~」って好きになったり、気が付いたりするのは、たぶん、履き主と私ぐらいだろう。
なんてことを考えながら12月30日の夜の店番。
ぼくらだって、そういう靴はこの時分に高島屋に行くぐらいにしかはかないだろうし、だいたい住人のやることは良くわかる。ただ、少し寂しそうにも見える。が、そういう足音の主たちが、この通りを守ってくださっていることは絶対にわすれてはいけないのだ。
にぎやかなところだけに、寂しい感じがするところもある。
こんな時に、「舞妓さんはどこでみれますか?」って聞いてくる人たちが歩いて似つかわしい石畳ではない。先斗町はまだまだふつうーの日本である。
今日は注連縄かけはるのてつだわなあかんなぁ~。
今日のよるは東京弁の女性二人組の声ばかりが聞こえる。そういう日だ。
どういう日なのかはご想像にお任せします。
で、
昨晩このような記事を書いた。ひまだったので通りに対しての垂直が崩れたものがどのようにイメージを悪くしているのかということを、線を引いてみて検証してみたりする。
これが今日の先斗町。我が家から北向きの図(よーするに眺めの良い方の向き。ちなみに同じ地点から南向きはTHE アジアな日本)。魚眼で撮っているので端がゆがんでいますが、パースペクティブが一本の通りにかかり、横の町家の軒が連なる様子がごらんいただけるはず。
先斗町に洋食で洋食を求められることはあっても、風情に「洋」を求めてこられる方はまず、おられないでしょ。
では、和のイメージ・風情ってのは何で構成されているか。
12月21日 まとめらしき記事
まだ10時になっていないがまとめらしき記事を書き始めている。
というのも、凧制作をしながら帳場で店番をしていると、格子の前でひとつ明瞭なやりとりがあったから、それをまとめとして書こうとしているのである。
格子の前に立ち止まった集団は子供(たぶん小学生低学年)・両親・おじぃちゃん・おばぁちゃん。
南から歩いてこられたこの集団はちょうど我が家の前で立ち止まった。
親が、「おじぃちゃんとおばぁあちゃんいれて写真とって」と子供に命じたのである。
実は、うちのお客様で最近急増しておられるのが、「わるぃ、ちょぃと、すわらせてもらうで」。
これはうれしいわけです。今日は重なってごひいきにしてくださる常連のお客様が連続で二組。お二方とも男性(界隈に行き先のあるぴっしり素敵&ダンディー&経営者的おっさんのかっこよさ満開のお客様)だったのですが、くちをそろえてこうおっしゃいました。
12月17日 顔見世に行った相方を待ちつつ昼の店番をしている。しばらくためていた雑務を終え、手持ち無沙汰になると、またカメラをもって外へ。
「このまちには人が住んでいる」ということを感じながら過ごす。今時、“住む”といえば住宅街やマンションといった“住居集合箇所”に“住む”ということなのだけれど、その“住む”とはちょいと違う。それは職住一体であるからというのが最大の違いを感じさせる要因であるのは明らかなのだけれど、、、、
ちょうど2時3時から4時半ぐらいまでの間は、花街としても、飲食街としても、観光地としても機能する様子をみせず、合間のように住人の時間が姿を見せる。一日のうちで再び住人の時間が見られるのは深夜1時を過ぎてからのことでその合間は、まったく別の表情を装う。明瞭に時間で区分されているわけではないが、一日という限られた時間を適当に使い分けているから職住一体が可能となる。ただその使い分けだけで職住一体が可能になるのではない、さらに別な職住一体を可能にするいくつかの方式がここに住まう人にはある。
毎日勉強になることが多い。
ココログの内容がすこし良い様に改善されたので、利用させていただいて、当ブログのトップページ表示項目内容を限定するように変更させていただきました。ですので、この記事もブログのトップページには表示されないはずです。
この「京都町家暮らし いろいろ」は私と家内が住ませていただいている町家の中での出来事だけでなく、町家が連なる花街先斗町通りのことに関しても記事を書いてきておりますが、どうしてもぱっと見て真意をご理解いただくことなく、揶揄されることも多いので、、、もちろんそれは、私の言葉の悪さや日々の仕事や生き方の怠慢も原因ではありますが、書き手がきもちよくない思いをすることも多くあります。ただ、書いておきたい気持ちは十分にありますので、あまり公に公開しないように書き残しておくために、今回の変更をさせていただきました。カテゴリーの03番と04番に関心があり、どうしてもそのジャンルに関する私の意見や見解を読んでやろうと思っていただけましたら、その03番と04番をクリックくださいましたら、日々ここで生きているなかでのわたくしの意見や解釈、目にして考えたことなどをお読みいただけるようにしてあります。誤解されやすい範疇のカテゴリーですので、そのようにさせていただきました。今後ともよろしくお願いいたします。
10月7日 昼の風景。
外にでてみていたら辰ラッシュ。玄関をでて一回り下の辰様に遭遇するので軽く会釈ぐらいするわけだが、にらんで素無視。まぁそんな界隈だからきにもせず、通りの真ん中まで踏み出してみると向こうから4まわり上の辰様。とおくから手を振りながら「ぇぇがをみてきましたんや。なんやらXいうやつですにゃぁ~。福山くんをみにいったんどすけど、つつみしんいちぃうひとの演技がほにゃららのひゃらら・・・・・あら、雨や、いそいでかりますぅ~。おおきにぃ~」とご機嫌さん。なんだか4まわりうえの辰さまにこころをほぐしてもらって、うれしい気分。
この街に限ったことじゃないかもしれないけれど、やっぱり女性は乙女であってなんぼでないかぃ?なんて思う。いくら別嬪さんがいたところで、はなまちってところには、そういうやんわりしたもんがなければ魅力をもたないんじゃないかな・・・・(←偉そうに花街を論じてマイマシタ。すいません)
かのじょなんぞ、壁に出てきた京都座にかよってはったんやろなぁ~今日いかはったところも、名前はかわってもおんなじところ。
気がつくのが遅いってはなしであるが、お葬式帰りの界隈の人に話しかけられて、ふと感じたのであるが、やはりここは江戸期からの(さらに古くからだろう)日本の生活のやり方が明瞭に継続されている。
どうでもよいことまで書いているな・・・と。
すこしどうでもよいことまで書いて、「京都町家暮らし いろいろ」の様子をややこしくしてしまっているかもしれません。
読者の方に読んでいただけるスピードや感覚から逸脱したてきとーさになっているところがある。
町家改修工事記録ってなものがそれを助長しているのかもしれないし、実質、わたしの生活に魅力が無いってことかもしれない。
とにかく、すこし反省。なんでも書きまくればよいってものではない。
書きすぎることじたい、意味がなければ、どうにもならないわけで、すこし考え直します。
今はさかりのついた猫か・・・・人間か・・・・がにゃおにゃおにゃにゃお通りをにぎわせています。その声は、まぎれもなく、人間のものとも猫のものともききわけられない。プラスチックのきらきらした布をまとい下着であるく界隈のバイトさんが、なんぞほざいているようにもきこえるし、もうけそこねた飲食店の生ごみに殺到する猫の叫び声にも聞こえる。
まちがすたれるってのには、すたれるときの音や像ってものがあるのだとしらさせるわけです。
よぉしてくださっているお客様がお立ち寄りくださった。すこしだったけれど久しぶりにお話をさせてもらった感じでうれしい。
で、
「花街というのは現代という世界にある外国であるのだ」というようなことをその方が言われた。実際はもっと面白い言い方で表現されたのが、そのような話。
今日も一日無事終了。最後はお客さんも少なく、暇にしてたら、近くのおねぇさんがなぜだか帰宅まえに立ち寄ってくださり、たわいもない話で盛り上がり(要するに愚痴聞き係)、今日もまた先斗町でこぉやってすわってるんはうれしいことだなと感じてそろそろ閉店。世間のふつうからすれば私なんぞはぇえかげんに生きているなぁとも。でも、それがわたしの仕事であるから、ちょいとは世間の役に立っていることもあるかもしれないと信じてやるしかない。
なんてつらつら考えながら、人気のない先斗町を撮ろうと外に出ていたら、
おつかれやすおにぃちゃぁ~ん、ほなきばってきますぅ~と走り抜けていく。
そんな京都時間のなかでどっぷりいきてますなんて、恥ずかしくてあまり大声ではいえないけれど、それはそれで素敵な京都時間を毎日生きております。
明日も息抜き程度によろしくお付き合いくださいませ。
9月21日 昼
おもわぬところで驚かされることというのがある。このような定点観測のような写真ばかり撮っているからかもしれないが、兎に角、私は、「舞妓様が単になりましたよ」ってことだけを書くために、たまたま格子の向こうに見えた瞬間に撮った。いつものことで、店番をしもってだから、格子の向こうにいるのがだれであるかなんか考えずに撮り、パソコンに取り込んでようやくだれであったのかを識別できたわけであるが、その人の成長というものにおどろかされた。
「ただの舞妓やんけ」といってしまえばそれだけなんだけれど、もうすこしで1年という若手の舞妓さんが挨拶まわりをする。来たときからしっている妓だったので親しい。「まだまだ、よわっちぃこといってるなぁ~」とか「元気そうに手をふっていったから、機嫌よぉやってるんやろ」程度に普段はおもっていたりするが、格子の向こうにある彼女の顔とその顎の動きをみればどれほどに大きくなったのかがわかる。前にもすこし書いたが、人は目や言葉よりも、顎の使い方でどれほどの人間であるのかを判断できる。若いひとであればあるほど、その動かし方の成長ははやい。おなじく、顎をみていれば、どれほどに程度がわるく、うかれぽんちになっているのかも一目瞭然である。
がんばったんだな・・と思って写真をまた勝手にのせさせてもらいました。いろいろ大変だろうけれど、「なにごともありがたいことだとおもってがんばらしてもぉてます」というその自身の思いを大事にこれからもきばってください。応援してまっせぇ~。
私がこの家や先斗町に残る町家群の建設年代に興味を持っていることから、家主さんが昔の本を貸してくださった。「維新の史蹟」というものである。すでに紙は茶色になっているが、その中にこの界隈であった殺人事件と痕跡について紹介されている箇所があり、そこに興味深い写真があった。
この路地は39番路地(通称は瓢箪路地であったようだ)と書かれていて、いまの路地番号とは違う。我が家の一本南の路地でこの路地の存在が、先斗町ではきわめて重要であったというのが私の見解である。そのことはだいぶ前に推論としてすこし書いたのだが、その推論を確かなものとしてくる写真でもある。写真の路地は現在、ふさがれているが、この通りはたん熊さんの前の道の延長線上にあり、一昔前は河原町よりにある仕出し屋さんや料理屋さんからのお料理はこの路地を通り先斗町へ運ばれた。そして、写真に写るように先斗町通そのままの路地と格子の並ぶ道が、現在の先斗町通りに直行する形であったのだ。
現在では先斗町は細い一本道の路地通りと理解されているが、そうではない。T字型に道が直交する花街であったのである。
そしてこの路地で本間精一郎が明治維新の最中(1862年10月13日)に殺され、今もこの路地に残る格子には刀傷がいくつも残る。斬ったのは、田中新兵衛・岡田以蔵とされている。そう、あの人斬り以蔵である。
とにかく、1862年にこの界隈は写真のように町家が並んでいた。ということは、この家の建設年代を推定する上でありがたく、参考になる。
さて、閉店し、夜ごはんを隣家でいただき、ちょいといっぷくを通りへでて、していると、お向かいのお茶屋さんのねぇさんにおかぁはん。
お向かいのお月見に遭遇させていただきました。
うさぎにも本日、サトイモを入手するようにとの指令は出ていたのですが、高島屋さんに出向いたときにはすでに芋完売で、断念しておりましたところのサトイモの会に入れていただきました。
お箸で抜いたサトイモからお月さんを見ると目に良いというまじないにうさぎ&らっこも!!ありがたいはなしです。
頂いた炊き立てのサトイモで、狭い先斗町の空のカケラに残るお月さんをみる「まま」「ねぇさん」「うさぎ」「らっこ」。
「ここにはちゃんと生き物として動物・人間がいきているんだなぁ~」とものすごくうれしい瞬間。
ありがとうございました。
で、そこからが重要。
9月11日 昼 ぇえ天気だ。今日の花街先斗町の通りはアリの道のようであるが、まぁ、よくあるはなし。
知らぬことは気にせず、路地から通りを見る。
一体いつこのまちはこのような(といってものこってるのこことあと少しだけだけど)様子になったんだろう。。。。。
この4軒&西側裏2軒は、もしかしたら、江戸期からそのままなのかもしれない。
ぞっとするし、わくわくする。
花街の場合、その家の住人となっても、実は住み手がころころかわっている。お向かいも斜めお向かいも家が建ってからの住人ではない。もちろん私も。裏も北の屋形も、北の屋形の裏もである。
なので、家の本当のことはだれもしらない。
今回の風呂場床抜けが無ければ、だれもこの6棟の家の歴史を探らなかっただろう。それが、稼動し続けている町の特徴だ。前のことにすがるのではなく、今も、そして今からも家(お茶屋としての屋形)があることにのみ専心しているからだ。だから、まだ先斗町に先はある。と、信じている。
朝の4時をすぎ、5時を目前にして、先斗町を浴衣で徘徊するらっこ1匹。あやしすぎ。
先斗町に面する屋形の足元を全部みてやろうとあるく。
実はこれ以上に書けないほどに、詳細はおもしろい。「人の足元をみる」ということばがあるように、「あしもとをみる」とそこには屋形の屋号や商いなど関係なく、「あしもと」がみえる。土間をどうするか考えてねれないのだけれど、「あしもと」というのはおそろしい。
だれもいない朝方の先斗町、一軒ずつ、真正面に向かい立ち、自分の正面にある足元だけを純粋にみてみてください。それって、やらないほうがよいかもしれないほどに、真実らしいものが見えます。
もぉこれ以上書かないほうがよいことばかり。
明日から、大真面目に働き、大真面目に工事に向かいます。それしか、わたしに今日をおさめ、あすにつなげることばはありません。他人のふりみてわが身をなおせ。それだけ。よい例も、悪い例も。いろいろある。世の中だから。じゃあ、自分に出来る精一杯で大事なものを大切にするだけ。
8月31日 昼 外に出てみる。ちょうど挨拶まわりの舞妓様に遭遇。元気良く「おにぃちゃんおはよぉさんどすぅ」をいってもらう。
そうそう、最近、ちゃんと写真を撮りためていっていないな・・と反省する。なんでか今日はそのことを痛感する。舞妓様に人数が増えたので、なんというか撮る自分も気持ちが散漫になっていたような感じだったのだろうか。
でも、大変だよ。ぇらいとおもう。奉公なんて「いつのじだいやねん!」みたいなことをして、大人になっていく道を自分で選択してやっていっているんだから。だれだって、大人になるにはいろいろなしんどい思いをするわけだから、だれがえらくて、だれがえらくないなんて言えないのだけれども、まったく日本のある(進んでいっている)姿とは違う世界で、大人になるやり方をやって、それでもってTHE 京都の看板らしきをするわけだから、なかなか根性があるじゃないか。とわたしなんぞはすぐ横にいさせてもらっておもうわけである。
とっても大事な大人になるやり方なんだけどなぁ・・「舞妓」ってことしか世の人には知れないでいるだけに、その日々の努力や生活を思うと、やっぱり出来る限り応援してあげたくなる。
さて、ところでなにもできないわけで、いずれは差し上げることができるだろう写真をちゃんと撮り置いてあげることぐらいちゃんとしよう。などと今日もうちの格子から先斗町通りをみている。
夜、そんなこんなで大量のごみだしだったものだから、僕も加勢していろいろいままでお世話になったものを捨てる。そしたら雨が降り出し、通りがこんな風に。降り始めだけ、ガラスのようにこの石畳はなにかをうつし出す。
きれいだ。
とか、一匹で思いながら夜中の先斗町通りででっかいカメラさげて写真をとっていたら、おかぁはん。(あちゃぁ・・・・はずかしぃぞこれは)で、「こんばんわ」。こちらの工事を気づかってくださるMNI開催。秋口の夜の先斗町は話しやすく、素敵な風がながれる。いろいろおうかがしていると、おかぁはんのお屋形は明治期らしい・・・すげぇ、10年以上上手が前に!!!
「たいへんどすなぁ~。うちは床がぬけませんように、ゆうてまいにち仏さんにおねがいしてますのや。明日はわがみどすぅ」といってくださる。ありがたい。町家で暮らすってのは大変だ。だって、古いんだもの。
「町家暮らし」はちょいと見、憧れの世界のようですが、みなさん、甘いものではありませんのですよ。
さぁって、明日もはたらこぉ~。なんぼはたらいてもぉいつかねぇ~。
みなさん、わたしが四条のマクドナルドとかコンビニで働いていたら気楽に声をかえてやってください。
そぉそぉ、これで3600記事。きれいな数字ですね。よくぞ飽きずに書くものです。みなさん、あきたらさっさと見捨ててやってください。世の中にはいろいろ面白いブログがありますんで。わたしゃぁ~死なないために書きつづけさせてもらいやすんで、「あぃつ、いきとるかいな・・」とでも思い出していただいたときにみてやってください。
めざせ!私の記事の多さでココログパンク!
「もぉ、この台所で、細かい切り物はできなくなるから、、」とうさぎが言うので、「じゃあ、最後に炊き込みご飯をつくって」、とリクエスト。
炊飯器と少しの調理器具だけになった台所で、不便そうに、炊き込みご飯をつくってくれた。
今までで一番おいしかったです。
炊き込みごはんを写真を撮るときに、飾るものが何もなくて、貝割れ大根を一本。
そぉ、花街先斗町に来て、教えてもらったのは、どうやって無いものを飾るのかという方法だったのだと身にしみてわかる瞬間でした。食べるのは器と飾り物の間にある食べ物なのに、実は、皿と上の飾りものがそれをもっともっと価値あるものにしてくれるのだという実際。中身よりも器や飾りが大事だというのではありません。どうやって、あるところの無いものを飾り意味ある“ないもの”にするのかということで、包括的な素敵さを完成させるのだということ。そのやり方のうさまこそ、花街先斗町の魅力なのです。
物を増やすことは簡単だけれども、ものを無くすということは難しく、そのなかでようやく大事なことに気が付くことが多い日々です。先一ヶ月は賽銭でもうけたかみさんがちょいと僕にくれたボーナスのようなものかもしれません。
8月19日 夜
今日もわたしにとっては快適な夜。昨日が北のたべもん屋2軒がお休みだったことでしずかだったが、今日は隣接する南のイタリアンかなんかの食べもん屋がお休み。さらに北のあぶらくさい一軒もおやすみなので騒音がなく静かなわけです。室外機の重低音というのはこれほどまでに通りに静けさや風情を復活させるのか!というほどに通りはよろしい感じ。外に出て見上げてみて、先斗町はこうでないと!などと久しぶりに気持ちよく写真を撮りました。業務用換気ダクトと巨大室外機の排気を浴びながら川床で酒呑んでもきもちよいものではないはず。
お茶屋さんのおかぁはんの疑問(「おかしおすなぁ~、むかしは床でてすずしかったんどすけどなぁ~」)があたまによみがえってきます。
本日は「M・N・I」のこと。
最近は登場しなくなったMNI。正式には「ミッド・ナイト・井戸端」といいます。
つぃ数年前の先斗町の火災以来、近くのお茶屋さんが始められた、深夜の通りへの水撒き運動に連動した、井戸端会議。わたくしども、へびーすもーかーとしましても通りでのポイ捨ては気になるところと、水撒きには少々なりとも協力させてもらわなあかんと出始めたのですが、割と参加者が多い。
今日も暑い中、浴衣着の舞妓様が挨拶まわり。
「淡々と」というと言い方はよくないのかもしれないが、花街のよいところの一つに「淡々と居る」という性質があるような気がする。暑いときも寒いときも、同じように、そこに人(住人)が居て、その人が普通どおり生きていて、通りの盛り上がりや盛り下がりとは別な表情をした、基本となる「淡々とした」世界がある。それは表立ってこないけれど、その“常時変化することなく稼動する”基本があるからいかなるご来客様にも対応できるのだとわかる。このブログなどでは、なにか特別な様子をフィーチャーして書きたくなるわけだが、「花街のこと」というのは、そういうことを書くのではなく、その「淡々とした様」を記録し続けることが一番重要なのかもしれない。
またこうやってこの格子のまえでのこぎり様と木工用ボンドさまを相手に生きているわけだ。
で、界隈が界隈の性質を維持するのは難しいことだと感じる。
私の所帯はらっこ一匹・うさぎ一匹と小さいうさぎ大量だけであるが、
界隈には大勢の生物が居て、それがある一定の性質を維持したまま存在し続けるのはかなりむずかしいのだとわかる。なんでこんなことを書き出したのかわからないけれど、それがまったくの他人の集合で家族を形成しなければならないから大変そうだ。
が、本来は、それが普通であったのだともわかってくる。
マチやムラという集団がそれで、そのまま花街が現在の社会にあるのだから、冷静にみれば特異であるが、実はオーソドックスで、しかし現代にはない性質だからすばらしく見えるところも多くある。
同じ他人の集合である組織の会社なんてものでは、そこまでの一貫性や共通する観念のようなものでいきていられているのか・・というともっと過酷な付き合いのようにも見える。
「おはようさんどす。昨晩はおおきに」
「こちらこそわざわざご丁寧に。おかぁはんにもよろしゅう」
「へぇ、おおきに」
「あついさかいに、きぃつけてな」
「おおきにねぇさん、いってきます。またよろしゅうおたのもうします」
ってことは相当に一貫した基盤のありようがなければ、表通りでまりとおらない芸当のようなもので、かなりすごい。
が、実はふつぅであるわけだ。
てなことよりも、私はご注文の屋台をつくらなければならない。
おかぁはんが紫陽花を届けてくださった。この紫陽花はお手洗いの戸の上に水引で縛られてかけられることになっている。なぜ今回の紫陽花が『便所用』であるのは、もちろんわからない。
原理や理屈はまったくわからない(知らない)が、毎年、鴨川縁で育ったお茶屋さんの大切な紫陽花を分けていただく。
きれいな大きい紫陽花。一年間、下の病気にならないようにということなのだそうだ。町中のお茶屋さんや芸妓さん、昔からの先斗町のお店さんには配ってくださる。こういうことが“ふつぅ~”に「ある」という様子は、本来の花街先斗町らしくて、好きだ。
こうやって格子の内側においた紫陽花を見て、それだけで外のみずみずしい空気がやってきてくれたようで、よぃものである。
おかぁはん、ありがとうございます。一年ちゃんと「べんじょ」にかけさせていただきます。
何をするわけもなく、模型を作り続け、閉店前を迎えた6月12日。なんとか経理の入力しなおしも終え、少し安心。
いつもどおり、この夜10時以降、活発なお茶屋さんのおかぁはんが、門にお茶を。
いつもどおり、「こんばんは」と言うと、「こんばんは、いつもすんまへん」と、いつもどおりかえってくる。
で、おもっていた。「こんばんは、いつもすんまへん」という言い方、難しい。
考えてみると、花街じゃないと、そこまで言うフレーズではない。が、この界隈の住人は、そのフレーズを専売特許のように連発する。ぼくにはまだできない。
住宅街でも家の主が、近くの家の主にそのように挨拶する様子はあんまりない。たぶん、それはここが花街だからで、ぼくなんかにも、当然のように、その「こんばんは、いつもすんまへん」が飛んでくる。毎回恐縮する。「いえいえ、こちらこそやかましぃして」などと返すが、それが精一杯。
なんの貸し借りもないから、“ふつぅ~”にそれがいやみでも商いことばでもなく出てくるようだ。ほんでもって、常時、関係して存在してくださるひとには、感謝の気持ちとお迎えする気持ちをもっていないと言えない。
すっごいなぁ~
ぼくのようなどぎつくえらそうな顔や態度をしたもんが、「そのようにありたい」とおもっているのは、かなり滑稽であるだろうが、「そうありたい」とおもう。難しい。そのうちできるようになるかな・・
さて、明日はひとつ定例、昼間の出用事がある。早めに寝ることにしよう。
夜にタバコを買いに。
夜寝るまでの間、コンビニで立ち読みしたり、デザートやアイスクリームを物色したりするのが好きなので、食事あとに時間ができれば近くのコンビニまで行く。
もちろん今日もタバコを1箱買いに。
帰ってきて玄関を開けると近くのおかぁはんに遭遇。これも毎日ではないが、所詮近所の住人同士。活動時間帯は同じなので、よくあること。
が、朝方である。30分すれば各日に空は青くなる。
世の中・一般では夜11時ぐらいといったところか。花街では朝日寸前。
「たばこを買いに、、でした。うるさくてすいません。」という自分。
「そぉどっか。今日もおつかれやす」
と4回りは上の人生の大先輩から、ことばがかえってくる。
住人世界の先斗町で、「本日もお疲れ様でした」と終わりを迎えるのは、遅い。
が、一般より6時間遅れているいるだけで、そうなれば品の良い普通の住宅街である。
「あかぁはん、くっとのんではよぉねとぉくれやす」とか言うが、
「まだ、これから、ニュースみなあかしまへん」とかえってくる。
住まうもののペースはおおよそおんなじである。
と今日も終了。少しでもそれが青くなって明日になるまえにねなければいけないと励むのだが。
6月6日(木曜日のつもり) のまとめ
木曜日だとおもっていたので(週の中で一番暇な曜日=木曜日)、一日模型制作。
ひとつだけ判明したこと=車輪以外鉾は一日でつくれる。
ということで本日、6月6日金曜日は終了。気がつけば週末。バナーをかえて、今日のまとめを書いて、普通どおり今日も閉店です。
少し気がついたのですが、
新緑というのは、それだけで秋の紅葉までを連想させるのですね。それは京都に居るからでしょうか?兎に角、若葉から紅葉までは、京都は一連の作業のなかで流れていく。桜が散ると同時に、都の木々は、「今年」というのをやっていて、それを傍らに置きながら、京都の時間は秋までそのままながれていく。
なんだか、不思議な気分でおります。
さて、なんでだろ?町家という世界には、木々がありません。花街の町家なんぞ坪庭がある屋形をのぞけば、自然はない。それゆえにでしょうか。なぜだか時間と季節と、木々の様子がやったらきになります。これも町家暮らしならでは・・・かな。
をどりへ行かれるお客様の往来の時間をぬって、ブログ記事を書き始めた。
相方は最後の鴨川をどりへ行った。今日は一枚だけ余っていた券があったかららしく、「今年で舞妓業を終える妓が最後の舞台であるから」ということで行くのだと言う。なるほど、彼女らしい。
早起きで目がどよぉ~んとしているが、僕は僕で、今年のをどりで撮影した花街の人の写真を整理する。
先斗町で6年目をやっている僕たちであるが、ちゃんと花街の様子を見ようとし始めて3年弱。日に日に仕込みちゃんだった娘さんが大きくなり、舞台のど真ん中でをどり、舞うようになった。近所の住人としてこれほど「よかったよかった」と思うことはない。写真は私たちが先斗町に引っ越して来た日に、時を同じくして先斗町の住人となった舞妓さん。しっかり一番をつとめられ、明日で最後。千秋楽には寄せてもらえないけれど、最後まで彼女らしくがんばってほしいと、写真を整理しながら思って記事にしてしまった。
稼動している街というものを表現することは難しい。誤解もうむし、偏見で解されることもおおい。ただ、その稼動がおわってしまってからでは、その稼動している様子、様(さま)は決して書けない。よいのかわるいのは、相当に時間が経ってからしかわからないことをやってしまっているわけだが、同じ界隈の住人として、花街先斗町を応援したい気持ちは、このブログで自分流に書くこと以外にはできない。せっかく「まだある」日本の一つの様子なのだから、少しでもよいように継続していってほしいものだと願う。
兎に角、長い間、舞妓稼業、おつかれさまでした。あと一日!
ウィキペディアで検索をかけてみるとこんなものを発見。ちょろりご覧下され。しかしいつの間にこんなものが・・・・
世の中、どないなWEB世界になっていくのでしょうか。。。。。
さらに・・・・・
外国人って、こんなことやってんのか・・と驚愕のWEBサイトでございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかしどういうことや。写真は上手いし、舞妓さんの名前もばっちりあってるし、こないに最近のことまでが英語のWEBサイトらしきに掲載されているってのは!
今頃気が付いたんだけれども、「鴨川をどり 開催中です」という基本記事を書いていなかった。
すでに最終段階に入ってしまっているが・・・・
先斗町歌舞練場で開催されています。
京都の五花街ごとに「をどり」があり、先斗町は鴨川をどり。5月1日~24日まで。一日3回公演です。
知らないころは、「ふぅ~ん」程度の見解でみておりましたが、ばっちり花街先斗町に住むことになってからは、「みんなすっごいなぁ~、がんばってはるんやなぁ~」っと、やはりこの一大イベントを楽しみにしています。もしこのシーズン先斗町へお越しになられるようでしたら是非!
しかししかし「171回目」!。割と長いこと・・・・・と妙なところに、これまた今更驚いております。
詳細はややこしいのでこちらを。
「せっかくぽんとちょうにきたんだから・・・」という言葉がある。
これをよく聞く。この「言葉」、「意味合い」「思い」のために私たちも生きて居れるわけなんだけれど、実際の先斗町は(花街稼業も食べ物屋稼業も、どちらも)本来の力で、この言葉にふさわしい態度をとれているのだろうか?
それとは対照的に、祇園町でよく聞くのが
「ここがぎおんや」
である。
まちとしての役割が大きく違うのだとわかる。「ここがぎおん」「せっかくぽんとちょう」それぞれに担わなければならないことは違うが、結局は花街であり、観光地であり、住宅街であり、飲食街であり、と同じ性格(職住飲食観光接待一体型舞妓付き)のなかでキャラがちがうということなんだけれど、それをそれぞれの領分のなかでちゃんと継続し、やり続けることは大事なんじゃないかなと思う。なにが必要なことなんだろうか?むずかしい。
配り物係のご褒美ということで頂いておりました、俗に言う『ただけん』をつかわせていただきまして、鴨川をどりへ。初日二回目の公演でありました。
写真はフラッシュ使っての撮影は駄目ですという案内だったのですが、席へ案内される途中から、わたくしのカメラをみて、「撮らないでください!」ときっぱり。「さよぉ~ですかぁ~」と最後にドサクサにまぎれて一枚だけ。なんかポスターみたいな写真が一枚写っていました。
正直な感想
1;やっぱり「よぉかん」がBEST。さすがだ。
2;二階席は地方さんがみえないでおもしろくない・
3;オーソドックスな良さのような気がしました。
ということで、一回目が終了。今年はなんどよせてもらぅことになるんかな。
先日、こんな記事「たぶんコケだ」を書きましたが、、、、分析、検証の結果、なんでそうなったのかが、わかりました。
どぉでもぇえことなのですが、先斗町らしくてよろしぃな・・・とおもうわけです。
お天気はよくて、笑顔笑顔なんだけれど、売り上げは大洪水のような日。そんなもんだ。それでもカメラがあるし、格子の向こうはよいお天気だ。
気にせず生きよう!などと思い。またしてもマニュアル400mmを装着。長い長いレンズをつけたカメラをもって門先に居たものだから、「おにぃちゃんどっかいってきはんたんどすか?」などかなり誤解を招きながら・・・・兎に角、思いがけず暇つぶしにそういう行動に出たのだが、あまりにも素敵な先斗町の様子を撮ることができた。
今回は、それも白黒。
3月10日も2時間弱だけ店を閉めたわけだけれど、その後は“へぃじょ~ぉ”通りうさぎ屋をやっている。予想通り今日はヒマだ。人通りがない。社長一人社員一匹なので交代で帳場に座っているわけだけれど、相方がこぅいうことを言い出しだ。
「祇園町と先斗町はなにがちがうんかなぁ・・・。食べもん屋さんがあかんのかなぁ・・・」と。
ほんでもって、あまり敬遠してしなかった「客あしらい」ってなものをやり始めた。なるほど、折に触れて、“ここは京都でしょぉ”という食べもん屋さんに連れて行ってあげてきた成果が出始めた。
「京都らしい」というものは、まずそれが“ある”或いは“残っている”ものを経験しなければ、やる側も「京都らしい」を実践していけないのである。京都の“生き残る”とは言いすぎだけれども、“維持継続展開”の将来は、まずもって『今まである京都に即する』ということなのではないか?その上で、金儲けなり、文化維持なり、議論を進めなければ、まちがややこしくなる。
9時半に開店すると目論んで(←早すぎて近所メイワクであるというはなしだが、玄関を3cmあけるだけなので・・)、カメラを持って先斗町へ出る。ほんなら9時前だというのに、観光客さんの集団らっしゅ。同じように朝からうろついているわたしがいうのもなんですが、、、
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朝の花街はね、、、、「もちぃっとおしゃれに男一匹で歩いて楽しむもんでっせぇ!!!集団登校みたいに歩いて観光するとこちゃいまっせぇ~。」
まぁ、朝の花街がどないに素敵な時間であるかはわたしもよぉしってますので、あまり言えた台詞ではないのですが、
では、朝の花街先斗町という“素敵”の光景をどうぞ。
わすれないように書いておく。先と後にお客さまがあり、わたくし流にふつぅ~にお供させていただいていただけの一日だったのであるが、考えさせられることが、いや、感じることが多かったので、何かを書いておかねば気がすまない。
‘自治会の自主防災なんちゃら会議&防火訓練’とやらに参加させていただきました。明確に旧都心部の過疎化・高齢化を体感出来た感じです。
本来住宅街であり、京都のお商売の本拠地である京都の中心部分・・・三条四条鴨川より西側。
普通の世間一般常識からいくと、なにかあった際には、「逃げ遅れに注意してください」と注意されそうな可能性の高い方々で、防災委員会は組織されているわけです。しかし、そうやって昔から京都の商いをされている方がまだしっかりこの地で生活や商いをしておられるのはうれしい反面、寂しい気もしました。
現在の京都では寺町通りより西側で、町家が壊されるという自体も起こっています。マンション建設により世帯数は増え、若返っている報道などもされているわけですが、残念なことに、寺町より東側では(河原町・先斗町・祇園・東山)単純に商いの現代複合施設ばかりが乱立し、住人が明確な高齢化・数量の減少傾向を見せているわけです。しかし外来のお客様や観光客さまからすれば、その界隈こそ「京都らしいところ」なわけで京都の本題でもありつづけるわけです。
さてさて、京都のどまんなかはどのようになっていくのでしょうか。
NHK迷宮美術館とかいうものがやっていた。
ロートレック特集だったのだけれど、久し振りにペンとかみをもってきてみた。メモを読み返してみると、
はじめに「わたしはロートレックになりたい」と書いていたものが、
「僕はロートレックになる」と最後に書いていた。
そうしようと思う。
以下はメモ、単語ばかりで言葉になりません。
少し小雨の夜の先斗町。今日は「おばけ」の日なので花街は賑やかだ。宝塚のような格好の芸妓さんや、時代劇みたいな芸妓さんが行き交う。
和傘に仮装というのがなんともバランスが良くてよい。写真ではうまいこと撮れなかったのだが、格子向こうにいつもの華やかなお色の芸妓さんが通られるのではなく、やや黒っぽい仮装姿が。それを見ていると、なんでおばけと言われるのかがわかったような気がする。黒の(夜の)街に映える様な通常のお着物やお化粧から、黒の(夜の)街に見えにくくなる衣装にするからなんだろうななどと。(注;写真は通常の芸妓さん)
もちろん普通の繁華街の明るさの中ではその違いは見定めにくいんだろうけれど、こういうお茶屋さんの明かりのなかでは、その表現が妥当なのだとわかる。
今日はお店出しでした。写真は出さないほうがよいのかもしれないなどと思いながら記事を書いています。折角迎えられた先斗町のおめでたい日だから、「おめでとう」という気持ちで記事にしています。へたな写真ではありますが、誤解の無いようにご覧いただければ嬉しいです。
少し有名な方の訃報などを読んでいた。
「ゆっくり」という言葉が気になって考えている。それだけ客が少なく、店番が“まだ”僕しかいないということだ。私だって、ひも的に経験豊かだから前々からそこまでは計算に入れてあり、明日は遅くまで寝ようとおもっている。
で、本題。
・・・・・・・・・・・・「今度ゆっくり・・・」
などと、お客様、知人友人身内と言い別れることは多い。ただ、次のゆっくりは約束されていないから良くて、だから今度がある。なるほどね。そのとおりの良い言い方だ。
でも、ゆっくりというのは時間的なものだけの話ではない。たった3分程度でもニンゲンの間のやりとりにおいて「ゆっくり」というのは成立する。たぶん物体とニンゲンとの間には「ゆっくり」という向かい合いはない。その「ゆっくり」が発動してくる一瞬の合間を認知できるかどうかで、世界は大きく変化する。「ゆっくり」のはなしなのに、非常に突発的で瞬間的な現象である。
無理強いせず、ほったらかしたように構えていることが大事だ。だからといって何事にも微動だにしない堅物ではけっして「ゆっくり」を迎えることはない。ここいら界隈はそのわずかな「瞬間(とき)」を定め、価値あるものにするのがうまい。意識しておくべきことだと思った。
川端四条下がったところにあるフレスコに若鶏ミンチとしょうがを買いに行く。馬鹿というのはそれしか出来ないことを言うのだと、四条大橋を渡ったあたりで気がついて、フレスコを通り過ぎ、宮川町へと下がる。
酒を飲んで歩く花街ほどこころあたたまる場所はないが、カメラ片手に素面で歩く花街ほどこころ寒いものはない。が、そのうちに気にならなくなる。
今日の後半戦は、祇園町さんのお茶屋さんのおかぁさんが書かれた本を読みもって過ごす(先ほどご当人さまか買わせて頂いてきた)。感想文を書けるほどに読めていないのだが、とりあえず。
花街の女性が、なんでそのように営み、生きているのかということが書かれている。よそから見れば京都の花街というのは特殊な世界であるだろう。でも、どうだろう。僕は、ふつぅの世界であって、特殊なことはないのだと思っているのだが、そのことを“なちゅらる”な言い回しで書かれているところにそのすごさがあるような気がする。詳細に花街のことを書くようなものではなく、「様子」を書かれたということが良い。
まだこのぐらいしか感想をかけないのだが、すこしずつ勉強させてもらいながら、店番の合間に読ませてもらうことにしようと思う。
今日は1月7日。花街先斗町は始業式である。
式の後の、挨拶周りが先斗町通りで繰り広げられていた。小雨模様でぼぉ~っとしておったら、大名行列のような舞妓様ご一行がずらぁ~っとやってきたので、大慌てでカメラを持ってでる。山盛りの追っかけカメラマンさんを横目に、「ちょぃまち」とかお願いして撮らせてもらう。昨年の八朔も雨だったけれど、そういうときは黒紋付のぴしっと感ではなく、雨ゴートの色とりどりがあり、それはそれで良い。ここはそういう時代のまままだ生きているのだと、こういう光景を見ると良く良く理解できる。賞状を持ったお二人の表情をうまく撮ることができた。
さて、花街も一年の始まりである。今年も先斗町はどのようになっていくのだろうか。わたしの写真ライフも、また一つ話が封切られたような感じで、やっとこ頭が動き出した気がする。さて、メシでも喰らって掃除でもするか。
まちが落ち着いたところで、おそくなったが昼ごはんの支度である。
うさぎ屋でアルバイトをさせてもらって生きていくようになって以来、おつきさまのことは、些か気になる。今日も地球の周りをまわっているようだ。安心安心。先斗町の空は狭い。すこしでも見えたりするとうれしい。
目を下げればこのわけのわからん灯りに“ガクッ”とくる。左の写真に古くからのお茶屋さんが2軒写っているんだけれど、その良さが、わけのわからん灯りで、ぼろ家に見えてしまう始末だ(玄関開けてみれば、まったくの別世界ですが)。なぜ折角ある本物を倣って商いをしないのだろうか。来る人はお茶屋遊びをするのではなかったとしても、その“様な”風情を味わいたいから来るのに、その有り様をこぉも見事に無視できるというのは大したもんだ。きっと、おつきさまの“つき”は、そんなお店には降っては来ない。つきのうさぎに頼んでなんかでかい石でも狙って投げ込んでもらぉうか。
この世の中にはとてもとても賢いお方がおられる。そういうお二方にご迷惑をおかけして、お越しいただいた。いやはや勉強になった。写真は、そのお一方の様子。
宴会というものを日々頂戴しているもうお一方の絶大な優しさによって私のいたらぬ書き物記事を一つにきちんとおまとめいただいた。書いていた最中には、なんの配慮もなく軽率にものを言い出したのだが、そのありもしないネタの能力をようするに一個の席にまとめるということはきわめて難しく魅力的だ。すべては人間というものができていないとできないのである。
毎日、ここはお教えいただくことがあまりにも多い。勉強になった。御姉上様、御兄上様、今日もありがとうございました。たのしい時間とお酒をおあたえくださった皆々様に感謝。