12月22日 夜
フランス帰りの日本建築の人がたずねてくださる。なにをはなすわけではないが、もしかしたら、他人で一番信用している人間なのかもしれない。もちろん、相手が「人間しか相手にしておりません」って言うのは知っている。が、そんなことはどーでもよい。
建築史という世界がある。
そのことの探求はわたしが寄せていただいている一家に、日本では大きな責任と役割がある。ここで一家というには、すこしだけわけがあるが、このはなしではない。
史学とは、安心感でしかない。
が、安心感というものは存在を継続する上でこれほどに有用なものはない。
そういうはなしであたまが整然となり、結果として、今年も(2月16日から25日)西洋へ行く。理由は、休暇であるが、本意は違う。建築は、人間の創造の文化的発達において、安定と信頼をもたらすものであることを確実に確信したからであろう。建築というものは、生きることをひとつの面で確固とする物理的側面と、その内包される優柔不断な性格のために哲学的な側面をもっている。
町家暮らしというのはわたしの一個の切り口に過ぎないが、都市居住という方式を選択した中世中ほどからの人間の方式はあるきっかけ、というか、進化によって発生した。その時代のことを知れば、この生活の要因となることを知り、それは、まさしく都市居住の安定の要素を袂に手繰りよせるようなことになり、すこしでも現代の生活の安定的心理を導き出せるに違いないのではないかと、わたしは考えた。
巡礼路教会堂建築の形式的伝播というここそ、人間文明がこの地球でいまのような営みを築きだす契機となったのだと考えている。単純に西洋の農業方式の進化がもたらした生活文化方式の変化のことである。
そういう話は、このブログの最終的なまとめのところで書くものだけれど、それがあると信じて、用もないのにこの記事を更新しつづけているのだ。
建築史というのは、生きる安定的感覚を叙情的にではなく、信頼できるものとして表現する方法のひとつである。
人は、1100年ぐらいから、「町家暮らし」をメインでやっている。